中止を求める根拠に、感染症法はなりえませんでした。

BSL4の中止を求める根拠を考えました。
 
中止を求める以上、法的な根拠が必要です。
そこで、感染症法を調べてみました。
 
(国及び地方公共団体の責務)
第三条 国及び地方公共団体は、教育活動、広報活動等を通じた感染症に関する正しい知識の普及、感染症に関する情報の収集、整理、分析及び提供、感染症に関する研究の推進、病原体等の検査能力の向上並びに感染症の予防に係る人材の養成及び資質の向上を図るとともに、社会福祉等の関連施策との有機的な連携に配慮しつつ感染症の患者が良質かつ適切な医療を受けられるように必要な措置を講ずるよう努めなければならない。この場合において、国及び地方公共団体は、感染症の患者等の人権を尊重しなければならない。
 国及び地方公共団体は、地域の特性に配慮しつつ、感染症の予防に関する施策が総合的かつ迅速に実施されるよう、相互に連携を図らなければならない。
 国は、感染症及び病原体等に関する情報の収集及び研究並びに感染症に係る医療のための医薬品の研究開発の推進、病原体等の検査の実施等を図るための体制を整備し、国際的な連携を確保するよう努めるとともに、地方公共団体に対し前二項の責務が十分に果たされるように必要な技術的及び財政的援助を与えることに努めなければならない。
 
感染症法は、国に対しては、整備を努力目標として定めているだけなんですね。
この法律を起案したのは厚労省でしょう。
厚労省が、「BSL4施設は住民に迷惑をかけてはならない」
と書くはずがありませんよね。
自分の首を絞めるのですから。
 
そう考えると、法律に基づく中止はできないということになります。
法律では駄目だということになると、その上の憲法ということになります。
 
憲法で言うと、
 
十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
 
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
 
あたりをもとにした「人格権」でしょうか。
 
人格権をもとに差止めを認めたものとして、大飯原発差止め訴訟
があります。
 
この裁判の成果については、金沢弁護士会が端的にまとめています。
 
 
 
本判決は,従来の司法判断の枠組みはとらず,原子炉規制法に基づく新規制基準での適合性審査とは別個独立に,司法は司法としての判断が可能であり,司法の役割としてその判断を行うべきことを明言した。そして,個人の生命,身体,精神及び生活に関する利益の総体にあたる人格権は憲法上の権利であり,人の生命を基礎とするものであるがゆえに,我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできず,原子力発電所の事故はこの人格権が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるところ,このような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば,原子力発電所の運転の差止めが認められるとしたものである。
 
これは、BSL4にも共通するのではないでしょうか。
したがって、BSL4についても、人格権に基づく中止が
可能ということになります。
 
(法律って、権力者に有利に作られるからこそ、
 憲法をもとに主張することになるんですね。
 
 そして、だからこそ、裁判所が憲法に基づく判断をしなければならないのに、
 裁判所は、決して、市民の味方ではなく、
 判断を逃げてきたという責任転嫁の歴史があるんですね)